アイドル

アイドルネッサンスが解散して迎える #平成最後の夏

アイドルネッサンスというアイドルがいた。それも今年の2月までは。

そのアイドルは僕のアイドルに対する価値観を一新させてくれただけでなく、自分がこんなに美しい感情を抱けるのかという気づきを与えてくれた

アイドルネッサンスは2018年2月、平成最後の夏を迎えず解散した。

アイドルネッサンスに至るまで

アイドルネッサンスについて語る前に、ぼくがアイドルネッサンスを推すに至るルーツみたいな話をしようと思う。

ぼくは中学の頃、YouTubeでカバーミュージックを見るのを楽しんでいた。要するに「歌ってみた」みたいなものなのだが、海外は日本の歌ってみた文化とは一線を画していた。最新のビルボードチャートなどでランクインする楽曲から、過去の名曲まで様々だ。

 

そこまでなら「歌ってみた」と一緒だが、日本の歌ってみたでは基本的にカメラが固定で弾き語りスタイルが多い。それに対して僕が見ていた海外のカバーミュージシャンは、カバーのためにMVを制作していた。というよりアウトプットの方法が毎回クオリティの高いMVだった。

単に映像作品としても見れる、それだけでなく原曲と全く雰囲気を変えたりする。ただカバーするだけでなくアレンジ、編曲まで手がける。中にはマッシュアップと呼ばれる複数の楽曲を1つの曲としてまとめる音楽スタイルもあった。僕は海外なりの二次創作文化に感銘を受けた。

当時影響を受けたMaroon5の楽曲メドレー by Kurt Hugo Schneider

当時このKurt Schneider氏の動画を見て至極感動した。今でも覚えている。身体中の細胞がざわめいた。音楽の楽しさを知った瞬間だった。

海外カバーの話をするなら米ドラマ”glee”は外せない。田舎町の高校のグリー部(合唱部)を舞台にしたドラマなのだが、ドラマ中に何曲か披露する場面があり、流行曲(例えば当時流行していたPSYのGangnam Styleとか)から語り継がれる名曲などを、ドラマのストーリーに合わせてミュージカル風に披露される。似た作品にハイスクールミュージカルがある。こちらを見た人も多いかもしれない。

 

gleeによって僕にとっての洋楽の敷居もかなり下がったように思うし、何より音楽を楽しむというカルチャーを感じて、僕もこういうクリエイティブを作りたいと思った。

それから高校に入ると、僕はアイドルに出会う。特に最初はアイドルに偏見のある状態だったが、当時武道館に行かなければ2年で解散という特異なコンセプトをもった旧ベイビーレイズを機に足を踏み入れた。そのグループの楽曲は今のロック系アイドルの先駆けだった。

 

それからエイベックスが手がけ、R&B的な楽曲を揃える「東京女子流」、当時は大阪で活動し、今では錚々たる有名バンドとの対バンから海外ツアーまで行うラウドやピコリーモ系サウンドの「PassCode」などを経て、大手の乃木坂46など有名グループ等にも興味が移っていった。その後インディーズへの回帰が起こるのは上京後、そしてここで話は戻る。

 

アイドルネッサンスとの出会い

そのアイドルとの出会いは二度あった。一度目はiTunesだった。iTunesにはApple Musicがある。説明は必要ないだろう。色んなアイドルを無作為に落としていって、色々聴いてみようとしていたのだった。その中にアイドルネッサンスもあった。

二度目の出会いはTwitterだった。当時推していたアイドルがMVをシェアしていたのだった。そのMVがアイドルネッサンスの「17才」である。このMVによって僕は瞬く間にアイドルネッサンスにハマることになる。

説明が足りなかったので補足すると、この曲正確にはアイドルネッサンスの楽曲ではない。Base Ball Bearというバンドの曲「17才」のカバーなのだ。アイドルネッサンスと同バンドの関係は濃く、アイドルネッサンスを運営するソニーミュージックは同バンドのボーカル小出氏に、アイドルを立ち上げる際にアドバイスを仰いだくらいだ(小出氏はアイドルに造詣が深い) 。

そう。このアイドルはカバーミュージックやアイドルに触れてきた僕にとって必然的な出会いだった。アイドルネッサンスは古今東西の名曲をカバーし後世に語り継ぐコンセプトを持ったアイドルだ。上京していたこともありライブに通うようになる。

 

アイドルネッサンスのライブ

アイドルネッサンスのライブ、それはたった二文字で言えるのに、何度語っても語り尽くせいないものだった。つまり「最高」だった。それは今までに味わったことのない感覚で、ライブの楽しさはアイドルネッサンスから教わったと言っても過言ではない。むしろもっと言える。僕が語るライブの楽しさはアイドルネッサンスのことだと言ってもいい。

アイドルネッサンスのライブの1つだけ特異な点は、新曲カバーを披露するところだった。普通ライブで新曲を披露するとなると、観客にその曲を知る人はいない。しかしアイドルネッサンスはカバーするアイドルなので、知ってる人がいる。初めて披露する時にその反応もまとめてアイドルネッサンスの面白さだった。

 

アイドルネッサンスの世界観は「青春」と言える。リア充な「青春」ではなく、昭和の女学校のような世界の「青春」である。衣装も制服的なもので、また色は真っ白だった。清楚のど真ん中を行くような、しかしまだ垢抜けていない少女の世界だった。

しかしアイドルネッサンスのパフォーマンスはそれだけで言い尽くせない力強さも持っていた。まず歌が上手い。アイドルと言えば歌が下手くそみたいな価値観を持った人に対しては、我が物顔で上手いと胸を張れる。またダンスの振りもとても美しかった。

 

さてこれだけで自信を持っておすすめできるが、それだけでは僕はこのブログを書くことはなかったと思う。もっと大事な何かを伝えたい。でなければ僕はアイドル業界で働くことも、アイドルの魅力を人に伝えることも恐らくなかったのだ。

僕がアイドルネッサンスを通して得た感情が無ければ、ここまでにアイドルに熱量を注ぐことはなかったのである。さて勿体ぶるのもいい加減にしようか。この感情について少しずつ言語化していきたい。

 

アイドルネッサンスが教えてくれた1つの感情

アイドルネッサンスはパフォーマンス、世界観共に優れていた。しっかりとした世界観にメンバーがついてきていたと言える。その中で尚アイドルネッサンスらしさを語るなら、それはライブの雰囲気だった。すなわちファンである。

 

僕は良いアイドルの構成要素として重要な1つが「ファン」であると考えている。アイドルはライブでファンが独特のコールをする文化があったり、 ファンがアイドルの誕生日を祝う生誕祭があったりと、ファンがアイドルの重要なファクターとして存在している。

だからこそアイドルネッサンスがただのアイドルで終わらなかったのは、ファンの雰囲気だったんだと思う。具体的に語ると、アイドルネッサンスのライブはこれ以上無いくらい温かみがあった。ファンの暖かさがとても心地よかったのだ。これは体感なのでとても伝えるのが難しい概念だ。

他のアイドルでもファンが温かいところはたくさんあるよ!という意見もわかる。僕もそれを知っている。けれど僕にとってアイドルネッサンスはその純度が高かったと感じる。それはいわゆる興奮ではなく、落ち着いた中に温かい感情が生まれているような感じだ。

 

例えるのが難しいのだが、温かいとは安心感だった。例えば二人で向かい合って片方が手を出さずに前に倒れるとして、目の前の人が必ず支えてくれると思える安心感だ。アイドルネッサンスのライブでは、アイドルネッサンスを愛する人が集まっていた。

アイドルネッサンスのメンバーはどちらかというと文化系という雰囲気で、また愛されキャラだった。アイドルネッサンスのファン層は年齢層の高い人から若い人まで様々だったが(アイドルの現場とは思えないくらい層がバラバラだった)、メンバーは幅広い人に愛される雰囲気や人間性を持っていたと思う。

何よりメンバーはファンのことを愛していたと感じる場面がたくさんあった。これはメンバーとファンが相思相愛の状態でいることができていた稀有な例だ。まるで家族のようで、ライブに行くことで僕は本当に心を開ける場所を手に入れたように感じていた。

 

衝撃の解散発表から

解散の前触れは、2017年から始まっていた。アイドル界で明らかに何かが起きていた。沢山のアイドルの解散と脱退ニュースが流れた年だった。誰しもがアイドル界の今後について憂いた。そしてアイドルネッサンスにもその波は来る。

2018年1月20日。昨日のことのように覚えてるとはこの事である。アイドルネッサンスの解散が発表されたのだ。同年の春にはセカンドCDの発売やツーマンも発表されていたにも関わらずだ。

 

アイドルネッサンスの解散は、もっとできることがあったはずだと皆言っていた。あまりに急すぎたし、もっと有名になれるチャンスはあったと思う。運命のいたずらか解散が発表された後に、ゴールデンタイムのTVにアイドルネッサンスが取り上げられ、YouTubeのMVなどに多く流入していた。

ただ今考えると、アイドルネッサンスに過度な成長は不向きだった。アイドルネッサンスはライブのUX(ユーザーエクスペリエンス)が明らかに高く、ライブに来るファンが満足を得られるような設計がなされていた。その設計が急激な成長に耐えられず、UXを著しく下げる可能性はあった。

 

例えばアイドルネッサンスは毎日YouTubeの動画が更新されていた。これは明らかに既存のファン向けであり、その中でも過去のライブ映像もたくさんあった。既存ファンによりアイドルネッサンスを愛してくれる仕組みが準備されており、ライブに来るファンをより質良くライブに満足してもらえるような流れができていたと思う。

逆にゆっくりでもいいから徐々に売れていければという意見もあった。ここはアイドルの妙と言えるが、アイドルには年齢が重要なときがある。アイドルネッサンスは、世界観の構築にメンバーの年齢に依存していた。しかも2018年の冬は、多くのメンバーが中学から高校、高校から大学など節目の年だった。また年長のメンバーが20才に達するタイミングでもあった。

 

これらを考えるとゆっくり売れるというのは考えにくかったのかもしれない。アイドルネッサンスの良さをこのまま継続するのであれば終わらすしかなかったのかもしれない。アイドルネッサンス”ロス”を抜けつつある今の僕なら思う。解散は運営の英断だ。

僕が偉そうに言うことじゃないが、アイドルネッサンスの運営は良くやったと思う。毎日動画をアップすることなんて到底できることじゃない。アイドルの運営というのはいつも人手不足なのだ。僕は最大限の賞賛を彼らに送りたい。アイドルネッサンスという価値と、メンバーを世に送り出してくれた彼らに感謝している。

 

アイドルネッサンスのいない夏を迎えて

この場では一度も語らなかったが、アイドルネッサンスはとても夏が似合うアイドルだった。特に夏の野外での彼女たちは、誰よりも煌めきがあって美しかった。ぼくの人生初めてのTOKYO IDOL FESTIVAL(アイドル界最大のフェス)は、アイドルネッサンスのステージを回るためにタイムテーブルを組んだ。

彼女らを夏に見れないことはとても寂しい。平成最後の夏と言われるがぼくにとってそんなことは全く重要ではなく、本当に最後の夏だったのはアイドルネッサンスを夏に見れる最後のチャンスだった昨年だ。今年も変わらずアイドルフェスは開催される。

1年前、カバーアイドルだったアイドルネッサンスはオリジナル曲を手にした。たった4曲のオリジナル曲はどれも最高で、何度も涙を誘った曲たちだ。そのうちの一曲でこの約5,000文字に渡る記事を締めたいと思う。ここまで読んでくれた方に感謝をしたい。

 

P.S
アイドルネッサンスが解散して、元のメンバーたちはそれぞれ新しい道を進んでいる。元メンバーの原田珠々華さんは、去年出演したTOKYO IDOL FESTIVALに再び戻ってくる。彼らの新たなスタートにぼくも喜んでるし応援している。昔が良かったなんて思うことはとても寂しいことだ。彼女たちにも昔の方が良かったなどと思ってほしくない。

ぼくはアイドルネッサンスと出会えて良かった。何より大切な感情を教えてくれた。ぼくはその感情を自分が持っているというだけで少し自分を肯定できる。ぼくも、またアイドルネッサンスが好きだった誰か、そしてメンバー達も前に踏み出せるように。

ABOUT ME
リオン
21歳。アイドルと音楽が好きなブロガー。作詞家としても活動しており、趣味は将棋やライブ鑑賞。暇さえあれば部屋の掃除。